連載企画「スピッツの歌詞で百合妄想」(1)「三日月ロック その3」 
   〜ナチュラルボーン攻としての普通の子〜


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2017年2月1日(水)

この企画は結構前から温めていて、以前のブログからこのサイト(独自ドメインサイト)に移るきっかけのひとつでもありました。
何故なら、移転前のブログ(はてな)が、新制限として「アーティストの歌詞引用ネタで記事書くのダメ」的な方針を打ち出したから。

なんでえ!それじゃこういう遊びが出来ないじゃんっ!
ということで、この独自ドメイン&レンタルサーバでのHP運営に踏み切ったわけです。
そこまで して、この遊びしたい?うん、したい!


スピッツの歌は基本的にも絶対的にも恋のうたです。そんで、「僕/俺」呼称の一人称です。
しかし……そこでヘテロ恋愛と自ら檻に入っても仕方ない。
むしろ、ここは「僕という呼称は、女の子のナイーヴな部分の象徴」
「俺という呼称は、女の子の攻としてのオレオレ女部分の象徴」
くらいに百合者だったら読み解かねばどうするっ!


さて、そ ういうテクニカルな部分さえ乗り越えたら……どうだ……。
スピッツの歌詞というものは、百合妄想に使える、使えまくる!シ チュの宝庫として!



● 「三日月ロック その3」(アルバム「おるたな」収録/シングル「スターゲイザー」カップリング)

(一応動画貼っておきます)

……で、 よりによってのっけがこのマイナー曲かよっ!
ええ、当サイト管理人は、基本的にスピッツのフルアルバムはコンプしております(インディー盤「ヒバリのこころ」あたりとか以外は)
もっとさ、こう「ロビンソン」とか……?
いやいや、あの曲は最後の切り札ですよ、百合の聖典的ワードが入ってるのですから!
それは入間人間「安達としまむら」で曲が引用されてることからも明白でしょう。
で、前置きは終わり。


>抜け出したい気持ちなら 桜が咲くたび現れる
 
とくにこの歌詞の主人公は、わりに平凡というか、ちょっとしたことで「サルのレベル」と自覚するほどあちゃあちゃしたり。
でも、このままでいいわけない!という気持ちだけは持ってる。そんな風に前向きな少女です。少女なんです。文句あっか。

で、そこで自分オンリーでGOGO!するなら、この歌詞が恋のうたでも、百合のうたでもないわけですが、
しかし、常に君のことが気にかかるわけです。判断基準として? というかつきあってくれるひととして。


>わがままな瞳は よそ見ばかり
>落ち着いて 嘘ついて なぜかばれて
>色 あせないドキドキは 形だけ変わっていくのだ 次いつ会えるかな
 
素晴らし い。草野マサムネの詩人たるやすごい。
日頃のささいなドキドキの数々は、詳細のデータを換えて、感触を換えて、「感じ」を換えて、それでも本質はそのままに、いつも千変万化。
しょうもないことに千変万化する主人公少女!!(FGOやってないけど、こういう少女は「ぐだ子」と呼びたいですなぁ)


この少女のしょうもなさはそれだけで「普通の子」であると同時に「ナチュラルボーン攻」であります。
(自分では)落ち着いて、と思って。
(自分では)嘘ついて、と思って。
でもそんなん、ミステリアスな受からしたら、すでにバレッバレ。
「もうしょうがないなぁ……」という感じで、受の少女にいつもほだされるのですよ。


こと前向きさ、だけをオミットした場合、この「しょうがないなぁ」的感覚は、「同居人が不安定でして」の関係性とちょっと似てる。
 
絵で食べてる情緒不安定女子の「不安定さん」と、会社勤務しつつ同人活動をする「しっかりさん」。
ダメダメな不安定さんをいつも怒りつつも、仲良く同居中のふたり。女の子同士の二人ぐらしは今日も平和です★
ーー公式キャッチコピーより

(このく だりは、受の少女の場合、という解釈もできるけど、それもそれで萌えるけど、
ただそれをするには、センサーをかなり働かさなくてはならない難しさになりますから、ここでは割愛)


さて、

>次 いつ会えるかな
 
こういう風に書かれているように、「次はいつ会えるか?」というふうに、今も一緒ではない。
心は結びついてるけど、今は一緒ではない。
離れていること(孤独)は、詩情を増 します。森博嗣が詩情(リリシズム)の根源として、孤独、というものを述べたように。
というか、孤独を耐えられる形で変換することこそ、詩情なのです。


そしてこの少女の詩情は、田舎道の風景や、そんなところに咲くでっかい桜、そして三日月ーーというふうに常に自然と同化を目指す。
人工的なもののなかの少女、というよりは……自然と人間が一体化したところにある少女、というか。
それがナチュラルボーンさをより増す。と同時に、攻性をも増す。
よけいなことばっかり考えてるけど、本質的には君のことをいつも思っている、というナチュラルで、陽気で。
それだからわりにめんどくさい「君(受の少女)」に「しょ うがないなぁ」と言われながらも、いつも気にかけてもらっちゃう攻の少女。


>待ちわびて シュールな頭で ただ君を想う
>泣き止んだ邪悪な心で ただ君を想う


そんな主人公少女、受の少女を待っています。
自然と人工のまじりあったところで、君を待っています。
わりとこんな世界も悪くないよ? みたいな思いを持って……。
そして、
少女もまた泣いているのです。君の不在を想って。あるいは、自分のどうしようもなさ、か。
それとも、なんだかんだ美しいことは知ってるけど、それでも不調和をどことなく思ってしまう、世界(自然)と自分とのかかわり合い、とか。
それの全部の象徴としての、君、の不在かな。
でも泣き止む。永遠に泣いていることは出来ません。おなか減るしね。
そこで「邪悪な心」をのぞかせるとこが、この少女の打算であり、またかわいらしさであり、攻性であります。
でもさ あ、そんな少女も、いざ「君」に逢ったら、シュールな顔になってしまって、しまらないのですねw
安達が、本質的にはしまむらを前にして、しまりきることがないように。
そもそもぐだ子が、本質的にはマシュの前でしまりきることを志向しないように。
そんな日常。


そして詩情は続いていく、今度は二人でともに。え?もうこの受の少女は邂逅しないかもしれないって?
いやいや。
こういうナチュラルボーンな攻少女を、どうして放っておけるものですか! 放っておけないから、今までがあったといえるのですよ。あ、やっぱり「同居人が不安定でして」のしっかりさんじゃねえか!



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