NCLADLE「足沢山猫―SOUND TRACK―」感想文


2017年5月29日(月)……up
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2014年秋
、残響は、同人音楽即売会「M3」秋の部に参戦しました(プログレサークル「Crimdoll」さんのお手伝いで)。
その時、自分がいたCrimdollさんスペースに、一人の方がやって来ました。
何故か、どうやら残響のことを知っておられる様子のその方。
CDをお買い求めのあと、すっとイヤホンを残響に渡し、そこから流れてくる音楽は……

「……! このドープなカオス感のラップ……まぎれもなく『スグリコレクション』収録の、「We are SUGURI players」!! てぇこたぁアナタ……」

「アイム・単于!!」

とまあ、そんなことで、スグリコレクションに参加されたアレンジャーである「単于(ZEN_U)」氏と、お目見えした次第であります。
その時に、御挨拶ということで、この「足沢山猫サントラ」を残響めにお渡しくだすって。いやぁありがとうございます……とそこから話が盛り上がって盛り上がって。
そんなこんなで、そこから単于氏との付き合いがはじまったわけです。

その時頂いた、「足沢山猫サウンドトラック」。
これが非常に、その後いろいろ残響にとって、考えさせられる盤となりまして……
本文章は、その感想文と呈して、残響のいろいろ考えたことを連ねてみます。


東方の継承

(この話は、足沢山猫サントラ(以下足択サントラ)の裏話を単于氏よりクローズドな場で聞いてのこと)

いきなりで何ですが、残響めは学生の時分に、エロゲ/オタ師匠・Nagaleさんより上海アリス幻樂団「東方紅魔郷」「蓬莱人形」「東方妖々夢」に、多感な青春期をブチ抜かれてこのかた、ずっと東方の徒であります。
東方を愛した。上海アリス幻樂団の世界を、音を愛し続けた。ーーああ、こういう世界を作りたい!
それ以来、自分の創作の目標は
「東方のような幻想世界話を作ろう」
でした。その(パクり)コンセプトは、この10年間変わっていない。むしろ変わらないことを誇りとさえしている。そう、自分は東方を継承するんだ……!


東方の継承 」……。
上ではパクりコンセプトと書きましたが、東方の二番煎じをして売れるとかいう話ではもはやない。東方にブチ抜かれた以上、自分の中で東方を消化し、昇華することが自分のやることだと信じて。
で、東方が盛り上がって、やがては「東方チルドレン」みたいな創作者――まさに自分のような存在だ!――が出てくる……出てくる……おや?

十年くらい経ってみましたが、そんなに出てきませんでした。

東方以後の作家を見て、えらそーですが部分部分では「継承をしているのだろうな」と思えます。
例えば「少女」モチーフ(とくにアリス/ゴシックロリータとか)であったり。例えば和メロ(歌謡曲メロ)であったり、ZUNペットであったり。
……が、「世界トータル、世界観システムトータル」で「東方を継承」している……!と判断できるものが、ぼくから見て、とても少ない
もっと、この東方っぽいもの……より詳しく言えば
「幻想郷というオープンシステムに負けない、別のオープンシステムワールドの立ち上げ」
「上海アリス幻樂団の音楽を、ただ他ジャンルでアレンジするのでなく、本質を継承した上で自分の世界を表現する」


ある意味で、それは茨の道以上の厳しい道なのかもしれません。
なぜなら、端的にいって、その労力ぶんだけの、リターンがない。
音楽ひとつに限っても、「別に東方を継承したからって、なんなの?」というのがあると思います。
何せ東方は、一聴しただけで「ああ、東方なのね」と思わせる独自のシグネチャーサウンドがあります。
それを導入する……?じゃあ東方の二次創作やればええやん。それで話は終わります。
さらに言うなら、東方の継承を音楽でしたところで「東方っぽい音楽」で片づけられるのがオチです。


じゃあ、その上で、なぜ東方の継承をするのか。利益的に薄い。反応もイマイチになる。
そうなったら……もはや自分のため、でしかないじゃないですか。


サークル:NCRADLE/白河飛翔(現・白河しら )さんや、サークル:A_DEN/単于さんが、上のように考えたかはわかりませんが、いくらか弾幕カスリくらいの線はいっているのではないでしょうか。「創作者」として考えを馳せるのなら。



感想本編

さて、本題に入りましょう。足択サントラです。
やはり一聴して、どうしたって「東方ライク!」 ということを考えざるを得ません。ひょっとしたら、これを最初に聞いて、「なんだ東方のコピーか」という感想が、リスナーの間である程度は声にされたのではないか、とすら。
自分とて、最初は好意的に聞いてはいたものの、それでも、
「東方のコピーのなかで、自分なりの表現をしようとしてるのかな」止まりの感想が最初であったことを、ここでは告白しましょう。
しかし、これを……そうですね、単于さんに2014年秋M3でお目にかかって、手渡されて、折に触れてこれまで何度も 聞いてきました。
そして思ったのが、「もともとの東方コピー理念とかをさておいて、メロディなどを虚心坦懐に追っていったら、また新たな世界が見えてきた」
というのが、ここ1年ばかりのこの盤リスニング歴です。
なので、何回も「足択サントラレビュー書きます」と単于氏に言っておきながら、のびのびになっていたのは、それだけ自分の人生において「評価が変わった」し、
「人生や音楽歴における意味合いも変わってきた」。何より、自分が同人音屋になって、このアルバムが自分よりも結構先を進んでいるんだなぁ、ということをまざまざとわかったから。


何が「コピー?」な感想から、「これは……」という感心の感想へと変わったか。
それは、まず第一に、「メロディ」だと答えます。
足沢サントラ……というか白河さんの「この時期の」「東方影響下の」メロディに、二点ばかり、本家ZUNメロディと違う点があります。

(1) 本家ZUNメロディはガイキチレベルに音の高低がダイナミックにアップダウンするけども、白河さんのメロディの高低はある一定域に収まっている。かつ、独特の哀感がある。
(2) その音のまとまりと、哀感が、本家ZUNメロディでは「あまり描けない独特の小さな世界を描いている」


ところどころの、「あ、これ東方の原曲を分解し切れてねえ」というのはもはやこの際ご愛敬(「時の指令」は、疾走するネイティヴフェイス系のピアノに、しかしメロディのストリングスはどう考えてもリーインカーネーション……)。
それでも、例えば「ボスボスボス!」。この轟音ギターの後のメインメロディ。
東方的/ジャズ・フュージョン的な「ハネ」がない。むしろのんきなメロディのわりには、余裕なく「投げつける、ぶっつける」っていう感覚すらある。

東方の音楽を語るにおいて、「ジャズ・フュージョン的」な「ハネ、横揺れ」感というのは重要で。
おそらく、東方フォロワーが会得しようとして、東方メロ、ZUNペット、そこまでは会得できても、これだけは会得出来てない、ってやつが、
「ジャズ的なハネ、横揺れ」……要するに「スウィング 」ってやつです。


リズムが、一直線じゃないってことです。「ずん、ずん、ずん、ずん!」が一般フォロワーなら、「ずん、ずんン 、ずん(チャッチャ)、ずん」とでも言うべき、余計な横に揺れる感覚。これが、言わずもがな東方のグルーヴの一つだと、わたしは思っています。
そういう感じで足沢サントラを聞くと、やはりそっちのスウィングは、コピーしきれてない。「ボスボスボス!」でも、まして、ぼくが愛してやまない「那珂川みなみ銀河団 (〃 Z)」でも、スウィング要素はあまりない……。


いえ、「だからダメだ」と言っているのではなく、これが結果的に、あまり横に揺れない、ということが、最近妙に「別種の感情」をぼくに思わせる。
なぜなら、横に揺れるということは、必然的に「余裕しゃくしゃくっぽい感じ」を与えるからです。ジャズとかを聞けばわかるように。
そうではなく、直線的な、スウィングのなさ、メロディーをぶっつけるようにこっちに聞かせてくるようなやり方。それが……なんだか、妙に、染みるときがある。


パンク・ロックを語るうえで、「初期衝動」という言葉があります。それは、演奏技術や機材が、歳を経るごとにうまくて、きれいキレイな音になってって、でも、初期の、バンドやりはじめたときの勢い、あの時にしか書けない曲、
そういったものが、たまらなく愛しくなって、あの頃の愛よもう一度!っていう感じなんですが(伝われ)

足沢サントラについて言えば、その「初期衝動」がまっすぐ伝わってくる「音作り」に結果としてなってる。
研ぎ澄まされた音じゃない。無骨とすらいえる。ましてちょっとダサい面もある(だって東方そのものの継承だもんねぇ)。
でも、それら一切が、「コピーしつつも、練り上げた白河メロディ」が、まーっすぐこっちに投げつけるように、スウィングなしでぶっつけるように聞かされると、ずいぶん、心にしみるものはある。


さて、白河メロディを語るにおいて、ZUNメロほどは急激にアップダウンしない、っていうのがあります。それは「まとまりのよさ」 を白河氏が目指したのか、とも考えられますが、しかしどっちかというと、白河氏はこういうまとまりのよいメロディを得意とするのではないか、と。
(さらに邪推すれば、そういった「ある程度のまとまり、という縛りを指向する」とすらいえて、だからこそファミコン実機音源という縛りでアレンジとかをしたりする、という仮説すらたてられないこともない)


このまとまりのよさ、過度に音がバラけないこと、というのは、東方の「過度にダイナミック、過度にエモーション」に追従しようとしたら、かなりやっかいなことになります。
ですが、白河メロディの本質っていうのは、煽情的ではい終わり!というのではなく、どこか哀感、どこか切なく懐かしい、あの日公園で食べた駄菓子と夕暮れのような……。そんな「かわいさ」と「切なさ」 があって、そっちのほうが本質だと思う。
そういう可愛さ、切なさには、過度なアップダウンよりも、「まとまり感」のほうが重要だから。

さて、そういう白河まとまりメロディが何を描くか?……今書いちまったですが、「超都会!」でもなく「超田舎!」でもない。でも「幻想!」でも「サツバツ!」でもない。6本の狂ったハガネの振動が自問自答もしない。
それこそ、もっとかわいい、子供のころの遊びのような世界観

それが、おそらく「足沢山猫」というゲームの世界だったのかな、と思います。社会でサクセスする大人の世界観などおよびでない、ただ楽しい!だけで十分な世界。
ある意味で、東方よりももっと単純ですが、ある意味でもっと素朴で優しい世界。


けものフレンズ、っていうアニメがありますけど、ぼく、あれは「やられた!」って思ってるんです。なぜなら、あれこそがぼくから見て、「東方の継承」そのものだったから。
オープンな世界、元ネタありき、しかし魅力的で自由なキャラ。のんきな世界、音、でもメロディアス。
なにより、吹いている空気が、「ギチギチに作り上げることのない、自由さ」があった。

この、足沢山猫サントラっていうのは、それに似た「自由な空気」がある。同人ゲーライク、って言葉では片づけられない、子供のころの遊びのような自由な空気がある。


面白いのは、話の都合上、よりシリアスでハードな空気が求められる場合っていうのがあったと思うんですが、それは単于さんの楽曲が引き受けてる。
「A hardworking fellow」の「メタルの重い質感」なギターの音色、「fairies of lakeside」の水のエフェクト音、「reverberations」のストリングスとDEKU氏直系なリズムトラック、
どれも白河氏が「子供のころの遊び」な優しいメロを追及してったら、ちょっと縁が遠くなってしまいがちな音色です。その部分を、単于さんの楽曲は補っている。


●曲分解レビュー

さて、話が長くなってしまった。では、最後に、「那珂川みなみ銀河団(同「Z」)」のレビューをやって筆を強引におきます。

まずイントロが夢を見るようなアルペジオ。そこからすうーっと駆け抜けるようなマイナーメロ。この「案外飛翔しない感じ」というのがさっきいった「まとまり」の部分です。
そこからブリッジの切なさを経て、サビのメロもまた切なく哀感。
そこから、ピアノが一気に落ち込んで、またメインメロにリピート。後述しますが、この「落ち込む」ところは曲全体で二回ありますが、大好き。

メインメロをもう一回繰り返して、なんと早弾きギターが入ります。この早弾きメタルイディオムをここで躊躇いなく持ち込む蛮勇ですよ。でもそれはギミックでなく、実に調和している。
ギター独奏の独走!にもなりますが、それがただの爆走でなく、歌心がある。

そして……ここで二番目のピアノ落ち込み。ここが好きなんだほんとに。バックで刻むピアノ、パンフルートっぽいシンセ、さあ、さあ、次に!という感じで、一歩も曲が休まない。気づけばヘドバンしながら涙を流している自分がいる!

そう、このアルバムを全体遠して聞いて、「留まってるな……たるいな」っていうのはない。常に「前へ!前へ!」って進もうとしてる。時にそれがスベりかけてることもあるけど、この「前へ!」な精神こそが!




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